学府について

そうだ調査、行こう。
福田 千鶴 基幹教育院・
地球社会統合科学府・包括的東アジア・日本研究コース

 私の専門は、日本近世史です。簡単にいえば、江戸時代の歴史を調べています。九州大学に提出した博士論文のタイトルは、「幕藩制の確立と御家騒動」でした。これをベースに『幕藩制的秩序と御家騒動』という、私にとって最初の学術専門書を1999年に校倉書房から出版しました。

 私が御家騒動の研究を始めたころは、よくそんなテーマが研究になるね、と冷ややかな目で見られることが多かったのですが、今では御家騒動研究は近世史研究のメインストリームになった観があります。というのも、日本全国に大名家が約200あるとすれば、それぞれの大名家で一度や二度は御家騒動が起きていますから、どの地域であろうとも分析する事例はころがっているわけです。要は、御家騒動をいかに分析するか、という分析視角が拙著によって提示されたことで、それを用いて各大名家の御家騒動を解明するための視座が得られるようになったことが大きいと自負しています。

 と、そんな手前みそはともかく、大名史料を求めて全国を訪ね歩いた結果、ふと気づけば47都道府県全てを踏破することになりました。高校生の頃に全国を旅する仕事につきたいと思い、旅行会社への就職を考えたこともありましたが、まさかこのような方法で全国を旅することができるようになるとは思いもよらぬことでした。

 2016年度から2020年度にかけては、文部科学省科学研究費基盤研究A「日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究」が採択され、研究代表者として20人を超える研究者を組織して活動しました。それまで主に政治史研究を進めてきていたので、鷹狩というテーマはやや唐突の感があったようで、なぜ福田が鷹狩をテーマに研究しているのか、と尋ねられることも多かったのですが、実はこれも御家騒動研究なかで発想を得たものでした。

 領主権の象徴である鷹、および鷹を使った狩猟をいかに権力のもとに掌握するか、ということをめぐり、主従争論に発展する事例が御家騒動の一類型としてあり、これを理解するためには鷹狩そのものの歴史分析を進める必要がありました。日本の鷹狩のルーツはモンゴルにあるとされており、ならばモンゴルに行かねば、と思いついたことも第一の理由でしたが…。こうして、日本を飛び出し、モンゴルの大地に立った時の感動はいうまでもありません。

 鷹狩の研究を始めた頃は、オオタカとハヤブサの区別もつかないド素人でしたが、真面目に取り組んだ5年間で、日本の鷹狩の特徴は17世紀初頭に大鷹で鶴を獲る技術を大成させたことにあり、これは世界的にみても珍しい狩猟方法だということがわかってきました。また、鶴といえば丹頂鶴だと思うかもしれませんが、大鷹に丹頂鶴を獲らせるのは甚だ危険な行為であり、鶴は小型の黒鶴、よくて真鶴(まなづる)だということも理解できるようになりました。その成果は、福田千鶴・武井弘一編『鷹狩の日本史』(勉誠出版、2021年)として公刊していますので、ぜひご覧いただければ幸いです。

 2021年度からは、文部科学省科学研究費基盤研究C「豊臣政権の人的資源再配分に関する基盤的研究」というテーマで、慶長11年(1606)に豊臣秀頼が出版した古活字版『帝鑑図説』の悉皆調査を進め、全国の『帝鑑図説』を求めて旅しています。これもまた前述の研究とはまったく無関係にみえますが、私のなかでは長年温め続けてきた研究です。九州大学で研究する時間は長くは残されていませんが、これをまとめることができれば、歴史研究は卒業かなと思っています。

 振り返れば、行く先々で史料を調査し、残りの一生をかけても、読み切れないほどの史料を収集してきました。それでもまだまだ読んでみたい史料が日本全国にあります。また、行けばかならず新たな発見があるので、史料調査の魅力は尽きません。なので、早速、次はどこに調査にいこうかな、と思案しているところです。

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