学府について

歴史学研究法概論
木土 博成 包括的東アジア・日本研究コース

 九州大学で働くことができる! このことが決まったとき、尊敬する九大の研究者の方々とご一緒できることが、心底うれしかったです。同時に、これでまたあのお好み焼き屋に通えると思うと、とても興奮しました。

 大学に入ってから、京都、大阪、神戸で17年過ごしましたが、福岡に住んでいたとき、中学・高校時代に何千回と通った博多駅のバスターミナルビルは、思い出が深いです。7階のゲームセンターでエアホッケーをしていたら、浮いた円盤が勢い余って、プリクラを撮っていた方に当たったり、また、円盤がエスカレーターに飛んで、下階の本屋にまでいったりしたこともありました。暇つぶしによくその本屋では、制限時間30分で、一番高い本を探し当てるゲームを友だちとしました。10万円近くしたカラー刷りの医学書が、たしか最高記録でした。

 そんなビルの8階のお好み焼き屋は美味しいだけでなく、鉄板を焼いている過程がまる見えで、仕事場としても素敵です。カウンターに座れば、焼いている職人と面と向きあい、独特の時間が流れます。かつてそこには、年配の職人がいました。毎週通っていたときは気がつきませんでしたが、1年、場合によっては数年に1度しか通えなかったとき、行くたびに職人の背中が丸まっていくのを感じました。鉄板に向き合うという仕事柄ゆえでしょう。

 長く取り組んでいる人の仕事にふれたり仕事場を覗いたりすると、型、癖というか、しがらみというか、様々なものが仕事の成果物だけでなく、その体、仕草、場にも刻まれているのを感じます。

 それは歴史研究者とて、例外ではありません。私が研究しているのは日本の近世期、とくに、16~18世紀の大名島津氏(薩摩藩)の歴史、ないしは、江戸幕府-薩摩藩-琉球の三者関係史です。最近、すこしずつ自分の型というか、癖のようなものを感じようになりました。恥ずかしながら、列挙してみます。

 

・すこし離れて

 関西の歴史資料(史料)に囲まれてきた分、研究では離れてみたくて、鹿児島や沖縄のものに惹かれました。「多くの人は年数の多いほどシングル・モルトはうまいと思いがちだ。でもそんなことはない。年月が得るものもあり、年月が失うものもある」(ラフロイドのイアン・ヘンダーソン氏、村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』)という名言があります。

 これをアレンジすると、分析対象に近づくことで見えてくることもあれば、近寄りすぎると見えにくくなってしまうこと、あるいは、すこし離れればかえって見えてくることもある、といえるでしょうか。すこしの距離をもどかしく思うと同時に、大切にしながら、鹿児島や沖縄の研究を続けています。

 

・ワープに期待

 ボンバーマンの京都のような碁盤目状の舞台には、ワープの仕掛けがあります。右に行ったつもりが、いつのまにか左端に飛ぶ不思議な回路です。

 歴史研究の世界では、しばしば知りたいことと、残された史料とには、おおきなずれがあり、歯がゆい思いをします。たとえば、知りたいのは、その公家が薩摩藩士と会って何を話したかであるのに、日記には天気のことと、二日酔いになったことしか書かれていなかったり、、、一方で、思いもしない発見もあります。頼まれ仕事で、まったくノーマークだった史料を読んでいると、自分が知りたかった江戸時代の泡盛の流通を示す貴重な記事に出会ったり、、、

 なるべく多くの史料、それも自分では寄りつかないようなジャンルのものを、精々読んでいきたいです。左に行けば、いつのまにか右に行けると信じて。

 

・長い時間軸で

 しっかりとした問いさえ立てることができれば、答えはいつかこちら側で見つかるかもしれないですし、あちら側で見つかるかもしれません。あるいは、私の一生をかけても見つからないかもしれません。それでも、その試行錯誤の軌跡をきちんと示すことができたならば、次の世代の何らかの発見に寄与できるかもしれません。歴史研究を通して、何十年、何百年のスケールで物を考えることに慣れているせいか、世代を越えた知の伝達、学問の進展には楽観的です。その反面、数年で成果を求められると、少々戸惑うのですが、、、

 いつの時代も、人間の織りなす社会はきっと単純で、なおかつ、きっと複雑怪奇なことでしょう。まるでボンバーマンの舞台のように、そこら中にワープの仕掛けがあり、あらぬ方向に導いてくれると信じ、対象からちょっとだけ距離をとり、今日も史料を読んでいます。博多駅のバスターミナルビルのお好み焼き屋で、古文書や絵図のコピーを眺めている者がいたら、たぶん私です。

2023年6月3日 博多駅で研究報告前の腹ごしらえ

担当科目:東アジア政治社会論